漫画のコマの枠

そこで思うのは、漫画のコマの形ですね。志村貴子の漫画「敷居の住人」を見ていて気づいたのは、その初期は標準的な真四角のコマではない変形コマが多くて、コマとコマの間の間白の広さも均一でない(ある種、少女漫画的変則表現、といっていいかもしれない)んですが、後半の巻、特に6巻あたりになると、そうした変形コマ表現がほとんど消えて、標準的なコマ割りになっていくんですよ。で、その効用はというと、まず第一に読みやすくなったこと。あたりまえですが。


変形のコマに接すると、読者はふつう、ちょっと読みにくく感じるはずですが、それはなぜかというと、その一つひとつの変形に対して無意識的に反応して、それの象徴的な意味をどうしても読もうとしてしまうからだと思うんですね。で、作者がどうしてもそこは変形コマでなければならない、そこで変形コマの象徴性を使わねばならない、って場所で使うんならいいんですけど、そうでなければ氾濫する変形コマ枠ばかりが読者の目を無用に引きつけて、結果的に枠内の画面に対する読者の集中力を散らしてしまうだけになってしまう。だから私は、デビューして以来一貫して、ほとんど標準的なコマ割りしか使わないことにしているんですが。


志村貴子もまたそう判断したかどうかはわからないけれど、現に最近の志村さんの漫画は標準コマ割りを採用することで、美学の力点が本当に不可欠ないくつかの主題へとしぼりこまれていて、よりはっきりと志村さんの作家的美学を画面に読み取れるようになってます。だからそれは志村さんのナイス判断だと思う。とまあ、そういったことも、次号『ユリイカ』の志村貴子紹介エッセイの一部に書きました。極度に圧縮した形で。


で、今、現に私も標準コマ割りをメインに使いながら漫画を描いてます。だからこそ、志村さんの表現の変化は見落とさなかったわけで。ここらへんが、例の、創作機械が評論機械に役立つ例ってやつですかね。いつもこう巧くいくと、いいんですけど。