「男女ともに楽しめるポルノ」?

1月21日付けの日記で、私は現在のポルノが男性向けに偏り過ぎている、と批判した上で「男女ともに楽し」めるポルノが探求されるべきだ、と書いたんですが。これは書いた時点ではまだ少し遠慮があって、本当はむしろ「女性が楽しめるポルノがもっと必要だ」と書きたかったのでした。これは、昨年の東京モーターショーでのキャンペーンガールの人数的自粛の時に提案した「キャンギャルを減らさず、それと同数のキャンペーンボーイを」と同じ理屈に基づいています。→id:sandworks:20031103 つまり、「万人の万人に対する売春」が理想的だ、という考えです。


「万人の万人に対する売春」とは、サドが彼流にフランス革命の理念を解釈して提出した提言です。フランス革命の理念つまり「自由、平等、友愛」は、近代的な解釈においては、そのまま「万人が万人に対して売春をしてはならない」、つまり誰もが対象化され搾取されない主体でなければならない、という人権思想の形をとりました。しかしその結果、あらゆる売春的なもの、つまり主体が自らを性的対象として提出することが人権思想の外部として軽んじられることになった。実際、狭義の売春は法的処罰の対象にすらなっている。そして結局、この売春的なものの差別が、異性愛主義の下で、社会をになう男性に対して性的なものとして表れることを強いられている女性に対する差別を再生産する基盤の一つとなっている。


これに対して、フランス革命の理念に忠実なままに男の都合を論理的に考え抜いた結果、逆説的に「男もまた女性に対して売春しなければならない」という理想に思い至ったのがサドです。売春的なものを女性に押しつけ、しかるのちに売春婦と罵る、といった差別構造を解決しないどころかむしろ温存しつつ、あらゆる主体の対象化を告発するあまり、さらに市民的自由を縮減する方向に向かおうとしているかに見える現代にあっては、私はもうちょっと、このサドの提言「万人の万人に対する売春」を、あるべき社会の問題として真剣に考えた方がいいと思うんですが。なんてことを今回はひどく圧縮して書きましたが、これはメモってことで、また次の機会にでもパラフレーズします。