ゲームラボのコラム連載は先月で終了!

そうそう、そうなのよ。雑誌『ゲームラボ』(三才ブックス)で2年間書いていたコラム連載もひとまず終了。1年目はサブカルチャー評論、2年目はマンガ評論をやらせてもらいました。今のところこうしたエッセイの連載予定はないので、のんびりと出版する予定のある(のか?)マンガ評論の分を加筆修正したりしよう。

いずみのさんへのレス

ではつづいていずみのさんの感想を再読。いずみのさんは私のエッセイの一部を引用して詳述してくれているので、未読のみなさんもぜひ。……さて。

id:izumino:20040127
読んですぐ思ったのは、砂さんがマリみてファンであるというよりは、「ああ、美少女漫画読みらしい発言だなあ」と感じたということです。
(中略)
 この日記でも何度か言っていることですが、美少女漫画を読む時の男性の視点は、女性キャラの内部に潜り込むように移動します。女性化して読むというわけでもなく、ただ女性キャラの視点と感覚器を男性視点と融合させるということ。

うーん、ここはちょっと期待とは違う読みをされたようです。私があのエッセイで批判した「純粋視線」には、この「美少女漫画読み」的なものも含まれているんですよ。もちろん、「美少女漫画読み」的な態度を徹底することで、ジェンダーを撹乱するパフォーマティビティへと突き抜けるということはあるかもしれない。強度による質的変化? もちろん、永山さん(永山薫)のような希有な例もあるけれど、どうもそれは期待できるほど多くはなさそう。多かったらよかったんだけどね……。まあ、だから「いま一息よ」なわけです。


いずみのさんも精力的にジェンダー論を踏まえたオタク批評を目指しているようで、なによりです。ただ、ユングはどうでしょう。アニマ/アニムスとか本質主義的かつ異性愛主義的な概念の最たるもので、これをかりに脱構築なりなんなりして異性愛主義批判へと仕向けようにも、かなり無理があるのではないか。あと、プリキュアは良いですか? 私はまだ一回しか見てなくて、それがしかもあの美術館の回……不幸な出会いの多い私です。

マユロックさんへのレス

まずは皆さんの感想を再読。マユロックさんから。

id:mayurock:20040116
総じて、何かすごく複雑なことを僕はあれこれと考えなくちゃと思って、はてなはじめる前からイライラしてたんだけど、すごく簡単なことだったのだと認識できたことが何よりよかったと思う。

なによりです。マユロックさんはジェンダー論を通過した上での美術評論を目指している方のようで、すると私が推測するに、ジェンダー批評をする自分のジェンダー位置でお悩みだったのではないか。たとえば、性自認が男性である自分がフェミニズムを代理した語りをしてよいものか、とか。私のエッセイではまだその問題にコンスタティブに答えてはいないけれども、ここで一言いうならば、私の考えは次のようなものです。


ジュディス・バトラーによる本質主義ジェンダーは文化以前の物質的基盤を持つ、という考え)批判を受けるならば、女性性の本質なるものはなく、女性性とは女装という文化的行為とそれに対する社会的な反作用によってこそ構築されるものではないか。たとえば受胎するという一見揺るがしがたい純生物学的現実と考えられているものすら女性性の本質ではなく、むしろその身体が社会的に受胎を期待されるという「こと」こそが女性性を構築するのではないか。ならば……ってところでやめときます。ほら、ねえ、もう……一言のつもりがどうしても長くなっちゃうんだよね、脱性的な「普遍」的コンテクストがあてに出来ない(というかそんなものは無い)議論だから。


マユロックさんは別な日記id:mayurock:20040129#p2で『次元往復』の総評も書いていて、これには編集長の夏一葉も相当元気づけられたようです。これからももりもり書いてくださいね。

『次元往復』のエッセイへのレスポンス

冬コミで夏さんid:natsu-kが出した評論同人誌『次元往復』に、私が寄せたエッセイ「男性オタクよ/美少女主義者たらんとせば/いま一息よ」に、感想を寄せて下さった方がいる。今のところリファなどで発見したのは、マユロックさんid:mayurockといずみのさんid:izumino ありがとう! きちんと応答したいけれども、そうするとこの連載エッセイで書く予定のこととどうしても重なるので、ここでは簡単なコメントだけ。