自分の枠をどこまでにするか

公開日記の難しさって、結局、自分をテーマにして話すことの難しさですよね。というのは、私は別の場所で小説「マリア様がみてる」をめぐって毎日雑記を書いて公開しているのだけど、これがネタは尽きないしするする書ける。漫画原稿の修羅場でもなんとか続けていける。ところが、本当に自分の日記にあたるこっちは何か初っぱなから日記と日記の間が開いてしまっている。どちらも毎日気にかけているのに。


自分以外の何かをテーマについて書く場合、人は、そのテーマによっておのずと決った枠組みが与えられたつもりになって、ただテーマについて書くことに集中できる。たとえば、テーマが「マリみて」なら、「『マリみて』について書く」ということが、たんに内容を示すだけでなく同時に枠組みを示してもいる。だから、人はその枠内でのみ、何についてどこまで書こうか、などと考えるだけですむ。枠そのものをどこまで拡げるか、設定するか、なんて考えずにすむ。枠という制約が人を自由にする。


自分をテーマにして書く場合、たんに自分という対象について書くだけでなく、むしろ自分について何をどこまで書くべきかという枠組みについての判断も同時に一挙に強いられるから、難しい。もちろん自分以外をテーマにするのと同じように、言語上は、「自分について書く」ということも、たんに内容を示すだけでなく同時に枠組みを示してはいるように見える。しかし、自分つまり「私」というのは私の世界のことなわけで、これは一見狭そうに見えて広大無辺な枠組み、もしくはあまりに可変的な枠組み、ほとんど枠とも言えない枠組みなのじゃないか。この枠という制約の無さが人を不自由にしてしまう。


というわけで、月替わりテーマとか、複数のシリーズテーマとか、なんかないかと考え中。ほら、考え出してしまった。だからやはり日記は難しい。